上海 2009.9.19-2009.9.22
杭州から電車に乗り1時間少々で定刻に上海に到着した。
中国での電車は遅れると聞いていたが全く遅れることはなく、なんとなく拍子抜けのような感じがした。
上海の街は既に動き始めていて人でごった返していた。
上海駅から地下鉄に乗りユースホステルのある人民広場まで出た。
今回の宿は杭州のユースホステルでインターネットを通じて予約をしていたのだが、
いざ、人民広場に降り立ちユースホステルを探し出したのだが見つからなかった。
全くの油断だった。上海にしばらくいたため地図に印をつけておけば簡単に分かるだろうと高をくくっていた。
しかも、予約した時に地球の歩き方に記載されている地図に印を付けただけで住所や電話番号を控えておくのを
忘れていた。
分かっているのは人民広場ユースホステルという名前のみ。
一応、この辺だと思われる場所をうろついたのだが、そんなことをしても見つかる訳は無く、途方にくれて人民広場の
入り口のベンチに座っていると1組の男女カップルが話しかけてきた。
大きいザックを背負ってベンチに座って困り果てている僕を見かねたのか。
心配そうな顔をして
女の子 「どうかしましたか?」
僕 「ユースホステルを探しているんだけど、見つからないんだよ。」
男の子 「なんていうユースホステル?」
僕 「人民広場ユースホステルというところなんだけど・・・。」
女の子 「そう・・住所とか電話番号とかわからないんですか?」
男の子 「電話番号が分かれば僕が電話して場所を聞いてみるけど。」
僕 「それが住所も電話番号も分からないんだよ。」
男の子も女の子も僕と同じ困り顔をしだしていたが話を続けていると
どうやら彼らは週末を利用して地方から上海へ遊びに来たということだった。
二人とも優しくて英語もよく喋るし色々話をしたのだが、結局インターネットカフェを探して
予約確認メールを見れば住所や電話番号ぐらいは分かるだろうということになり、
僕はインターネットカフェを探すことにして彼らとは別れた。
インターネットカフェと言っても、どこにあるのか全く検討も付かないがとにかく繁華街の路地を歩けば
何かしらあるだろうと思い歩き出した。
当ても無く歩いていることほど不安で疲れることは無かった。
英語で中国人に聞いてもあっちへ行けと言わんばかりの目で見られ、お決まりの「不没(無い)」の一点張り。
たまに指差しであそこだと指差されたのだがその先に行ってみても何も無かった。
散々、歩いた後、あるショッピングセンターに辿りつき中に入ろうとしたら、女の子3人組みに声を掛けられた。
事情を説明してインターネットカフェを探していると伝えると、「このショッピングセンターの3階に確かあったわよ」
と教えてくれ一緒についてきてくれた。
3階に着くと薄暗い部屋にPCがずらっと並んだインターネットカフェではなくPCゲーム場のような場所だった。
早速、インターネットをしてメールを確認すると、そこには住所のみ記載されていた。
その英語で書かれた住所を書き取り女の子に見せると多分、分かると思うということだった。
ほっとした。
彼女達は今からお茶を買いに行くので、その後なら案内してくれるということだった。
「あなたも一緒にお茶を買いに行かない?」っと誘われたので、これも何かの縁ではないかと思い、
重いザックをユースホステルに早く置きたいという気持ちを抑えてついてゆくことにした。
お茶屋はショッピングセンターの2階にあり、僕たち4人は店の奥に通されカンフー茶を見ながら
気に入ったお茶を買えるというシステムだった。
当然、僕はお茶を買うつもりはなく、北京の国士監でみたカンフー茶と同じものを見て、お茶とお茶請けを
頂きながら女の子3人と話をしていた。
彼女達は上海にある医療品関係の貿易会社の地方支店に勤めていて、今日は会議があって上海に
出てきたのだと言っていた。一通りカンフー茶が終わり最後に上海雑技団のチケットを店員が売ってきた。
彼女達は夜雑技団を見に行くからあなたもどうかと誘われたが、金銭的な事情もあって丁重にお断りした。
彼女達はお茶と雑技団のチケットを買い、僕はカンフー茶代を清算しようしていたら、
財布からクレジットカードのゴールドカードが出てきた。
僕は今までの人生でゴールドカードを持ったこともなく、今自分の財布に入っているクレジットカードは
ANAのマイレージカードを兼ねた普通のクレジットカードである。
しかも、カンフー茶代は一人200元。貧乏旅行をしている身分で、たった1時間少々のカンフー茶に200元を
出費するのは非常に痛かったが、彼女達と出会わなければインターネットカフェは未だに見つからず
上海の街を彷徨っていたと思えば納得せざるを得なかった。
クレジットカードのことや、金銭的な理由から雑技団のお誘いを断ったこと、さらにカンフー茶代の200元を手痛い出費と
思っている自分が、なんとなく小さい人間に見えてしまった。
彼女達にユースホステルのある住所の通りまで案内してもらい別れた。
その通りは大通りから3本ほど通りを中に入った奥で、華やかな上海の大通りとは似ても似つかないような
路地だった。通りの両脇にはゴミが積まれ、生ゴミが散乱し、路上では食べ物を売る露天があり、子供は
歩道の真ん中で大便をしていた。参ったところに宿を取ってしまったと思ったが今更、宿を変更する気力も無く
そのままユースホステルにチェックインした。
ユースホステルでチェックインし階段を登り部屋へ行こうとしたのだが、ユースホステルの館内が異常に臭かった。
鼻を突くようなこの臭いはいったい何なんだと思ったがどうしようもない。
部屋の鍵を開け中に入ると昼間なのに真っ暗だった。
窓がない。
息苦しい部屋だったが、歩きつかれたため荷物を降ろして、しばらく休むことにした。
後で気づいたのだが、このユースホステルが入っている同じ建物内には
生鮮食料品を売るスーパーマーケットと公衆トイレが同居している建物で、ユースホステルの真下が公衆トイレだった。
どうりで臭いわけだと思ったが、どうしようもなく上海から出国するまでこの臭いにまみれるしかなかった。
・偽ブランド品
発展途上国を旅行していると偽ブランド品に出会うことがよくある。
例えば、タイに行ったときには路上で有名スポーツメーカーのTシャツを日本よりもはるかに安い値段で売っていた。
インドネシアでもヨーロッパの有名サッカーチームのユニフォームが破格の安さで手に入れることが出来た。
上海でもこれと同じように偽ブランド品を手に入れることが容易にできる。
ある夜、ユースホステルから路地を歩きながら繁華街である南京東路へ向って歩いていると路上でルイビトンやシャネル、
グッチといった有名ブランドのバッグを売っている露店を見つけた。
暗がりもあって偽物か本物かの見分けは当然分からないが、たしかにルイビトンのバッグであることは間違いなかった。
値札を見たら225元(3,600円)と書いてあった。日本だったら20万円近くするようなバッグだと思うのだが、
そんなバッグが露店には30個ぐらいの品物が並んでいた。
一通り見終わって立ち去ろうとしたら店員2人が慌てて品物を陳列しているゴザのようなものを巻き上げて逃げていった。
その素早さといったら凄かったが、辺りを見回してみるとどうやら警察の車が近くを通ったのだと気が付いた。
警察に捕まるまいと逃げたのだが、僕はその光景が妙に可笑しくて仕方がなかった。
中国旅行の前に予め偽ブランド品の情報をつかんでいたので、違法とは知りながら偽ブランド品を探して
夜の街を徘徊することにした。
南京東路を歩いているとビルの地下にお土産物屋が軒を連ねている場所を見つけた。
チャイナドレスや扇子、お茶や陶器など様々なものが売られていたが、奥の方へ向って歩いてゆくと
怪しい雰囲気がしてきて案の定、ルイビトンやグッチやポーターといったブランドバッグが吊り下げてある店が
出てきた。
それも何店舗も。
僕はこの怪しい雰囲気がとても好きで、店員との怪しい雰囲気での英語のやり取りが面白く、また、このスリルの
ようなものがワクワクして仕方がない。
値段の交渉をしてみようと思い数ある店の中で適当なお店に入りルイビトンの財布の価格交渉をしてみた。
財布を捜しているように店内を物色していると店員が何を探しているのか尋ねて来た。
ブランド物の財布か何かを探している旨を伝えると、怪しい笑みを浮かべながら陳列棚の下の引き出しを開けて
ルイビトンの財布を出してきた。一応、ちゃんとした箱に収められていたが財布を触った時の手触りがビニールぽくて
一見すると分からなそうだが、こんなもんなのかと思っていると店員は更に別の引き出しから同じ型の財布を出してきた。
話を聞けばこちらの方が質がいいのだと説明してくれた。
最初に出したほうは、やはりビニール製だけれども、後で出したものは皮で出来ているとしきりにアピールしていた。
値段を聞くと皮製いう財布の値段は280元(4,480円)だと言ってきた。
買い物は1/3まで値切れと聞いていたので言い値で買うわけもなく、落としどころを100元と決めて最初は80元と言ってみた。
呆れた顔をされたが、250元、220元、200元と下がりだしてきたが、僕は80元を譲らず固持していた。
店員は益々呆れ顔になったが150元まで下がってきた。そこで僕は90元と言って歩み寄りを見せた。
店員も150元以下では売らないと言い出したので、では100元ならどうだと言って見たが、聞き入れて
もらえなかった。
ここで交渉決裂と思い店を出ようとしたら「130元(2,080円)これがファイナルプライスだ」と言ってきた。
元々、自分用のお土産に財布を買うつもりだったので、目標価格である100元には届かなかったものの
130元で手を打つことにした。
買った後で店員が「日本人のあなたにとってこの30元の差がどれほどの価値があるのか?」っと呆れ顔で言っていた。
たしかに、30元といえば日本円にして480円である。480円だったら大学の学食で昼の定食の値段でしかないし、
コンビニで買い物をしたらペットボトルのジュース3本分の値段でしかない。日本で生活していたら、その生活の中で
何気なく使ってしまう金額であることには間違いない。
しかも、僕は決してケチな人間ではない。
ただ、外国で正当な値段が分からない上に、その分からない代物に対して明らかにボッタくっているだろうという値段に対して
僕はビタ一文として余分に払いたくないだけなのである。
適正価格でいいサービスをしてくれるのならチップも払うべきだとも思っている。でも吹っかけられたその値段で
買うことだけは断じて許されないのである。
その後も、別の店でポールスミスのシャツ120元(1,920円)を40元(640元)に、アルマーニのネクタイ80元(1,280円)を20元(320円)
バーバリーのマフラー120元を38元(608円)と次々に値切り倒して自分へのお土産を買った。
これだけ値切って買ったのだが、最初に吹っかけられた値段から実際に支払った値段を見比べても
相当吹っかけてきていることはよく分かったのだが、これだけ値切られても商品を売るということは
値切った値段でも利益を出せるのだから、仕入れ値はいったいいくらなのかを知りたくなってしまう。
これは後日談になるのだが、上海で買った偽物ルイビトンの財布と同じものを日本のルイビトンのお店で見つけたが
こちらの価格は52,500円だった。
帰国後その財布を使い出したのだが結局、半年後には財布のあちらこちらが破けだし使い物にならなくなってしまった。
やはり、偽物はそれなりの品物である。
・妹との再会
杭州から上海に戻り、日本に帰国するまでは4日間の滞在になった。
北京に行く前の滞在で上海のほとんどの観光地は見て回っているので観光するところはなかった。
偽物ブランド品を見て回ったり、以前カメラを盗難された南京東路をブラブラあるいてみたり、
怪しい回転寿司屋に入ってみたりと暇をつぶしていた。
上海には僕の事を兄と慕ってくれるリキブンという中国人の女の子がいる。
彼女は僕が通う大学に留学してきて、同じく僕が在籍する日本語教室に来てくれたことで出会い、
親しくなり、僕もリキブンの事を妹のように思っていた。
彼女が日本の留学を終えて帰国した後もお互いに連絡を取り合っていて、今回の中国への旅も彼女が
色々調べてくれたり、いいアドバイスをたくさんもらった。
彼女は中国へ帰国後、日本語の語学力を活かして上海で日本人留学生のコーディネートをする会社で
仕事をしている。
上海に滞在中の或る日、彼女の会社が主催する上海復旦大学の学生と日本人留学生との
日中交流会のイベントがあるということだったので、僕も一緒に参加することにした。
地下鉄を乗り継いで会場まで行ってみると、あまり広くない部屋に日本人と中国人が、何かを
しきりに会話していた。
そのあまりの熱気や中国語を全く話せないため会場に入ることも出来ず受付でリキブンと話していると
会社の上司が来て会話に加わった。
僕は今まで中国で起きた出来事を上司に色々話したのだが、終始笑いながらその出来事についての理由を
聞かせてくれた。
その上司は僕との会話の中でとても印象的な事を教えてくれた。
「もし100年の歴史を見たいなら上海へ、1000年の歴史を見たければ北京へ、5000年の歴史を見たければ西安へ行きなさい。」
この言葉を聞いて納得してしまった。
この三つの都市の内、上海と北京に行ったが僕自身も100年と1000年の歴史をこの二つの都市から感じていた。
上海は100年前、ヨーロッパや日本の租界が誕生し改革開放から経済成長が目覚ましく、今の中国を象徴するような
近代都市と化している。中国の激動の100年間の歴史がここにあると、そう感じていた。
北京は紫禁城など中世からの歴史がある。中国歴代王朝がその首都を置いていた場所だけあって長い歴史がそこにはあった。
そして2008年夏の北京オリンピック開催まで。
本当に納得できた。リキブンの上司との会話で色々な疑問が解決された気がした。
その後、日中交流会を後にして、リキブンは僕を韓国料理レストランに連れて行ってくれた。
場所は復旦大学の近くにあって、韓国人留学生の為のレストランという感じだった。
店内に入ってみると大きな鉄板がテーブルに備え付けてあり、僕たちは食べきらないぐらいの焼肉を食べた。
↑巨大な鉄板
ビールも飲んだ。
この頃、僕は中国の青島ビールが好きになっていた。なにが好きという訳ではないのだろうが異国で飲むビールは
味がどうのということよりも、異国で飲んでいるというエキゾチックな感じや開放感が勝るため印象的に感じるのだろうと
思った。
奥のテーブルでは韓国人留学生の20人ぐらいの集団が合コンをして盛り上がっていた。
どこの国の学生も日本と同じように合コンをするんだなと思うとちょっと可笑しかった。
食事が終わり、外をふらつき、カフェでソファーに座りカプチーノを飲みながら話をした。
リキブンには中国で起こった出来事や旅を総括をするような話をした。
それから旅に出かける前まで、日本で好きだった中国人の女性の話。
お互いにお互いのこれまでの出来事を話したが、僕は妹のように可愛がり心を許している彼女と話すことで
心に詰まっていた消化不良のような異物が取り除かれた気がした。
また、将来的に二人で中国と日本との間で何か事業をしようかという、嘘か誠かどっちもつかぬような
話で盛り上がったが、僕はまんざら嘘ではないと思っている。
話は尽きなかったが夜も遅くなってきたので、明日会う約束をして別れた。
翌日はリキブンは休みだったので二人で買い物をした。
シャン西南路というブランド品が並ぶ通りで買い物をしたがここはとても面白かった。
大通りは正規ブランド品が並び値段も日本と変らないかそれよりも高い値段で売られていた。
一方で、大通りから筋を一本入ると、そこは偽物や生産工場から訳あり品で安く払い下げられた
バーバリーやポールスミスなど有名ブランド品が無造作に売られていた。
そのギャップが面白くて店を見て周り、その中のある店でバーバリーのシャツを格安で購入した。
リキブンと通りを歩いていると偽物を売る店の客引きが声を掛けてくる。
しきりに偽物ブランド品のカタログを僕たちに見せてきて、僕は笑いながら
「それは偽物だろ」というと、客引きも笑いながら「そうニセモノ」と返してくる。
駅に向っている僕たちに必死になって売り込んでくる。
僕 「本物じゃないだろ」
客引き 「ホンモノ!ホ~ンモノ!!」
客引きも僕も笑うし、リキブンは「嫌だ嫌だ怖い怖い」といって先を歩きだすし、この光景が可笑しくて可笑しくて
僕は仕方がなかった。
結局、駅まで付いてきたが僕たちは何も買わずに地下鉄に乗り、今度は有名なお茶屋へ行った。
お茶屋さんでゆっくりお茶を飲みながらお茶請けを食べ話をして夜になるのを待ってから、外難(バンド)へ行った。
↑外難(バンド)の夜景
以前、この夜景を撮り終えたあと、そのカメラを盗まれたので外難の夜景はカメラに収めていなかったので
写真を何枚か撮った。上海から日本に帰る前に撮ることができてよかった。
外難の夜景を眺めた後、帰りの路地を歩いていると何人かの物乞いとあった。
中国の物乞いについては、話を聞いていたが、勿論、生活が困って物乞いをする人はいるが、
中には日本で言うヤクザみたいな人に何か巻き込まれて手足を切られ無理やり物乞いにさせられる人もいるらしい。
それからお金欲しさに、血を吐いたと見せかけて赤いインクを着けているだけの人とか。
なるほどっと思いながら見ていたが、明らかに不自由そうな一人の施し缶に財布の小銭を入れた。
リキブンと外難の夜景を見た後、人民広場駅まで一緒に歩きながら華やかな上海最後の夜を見ていた。
小腹が空いたので通りにあるレストランに入ったのだが、ここの料理は最悪に不味かった。
リキブンが「お兄ちゃんの最後の夜に食べた料理がこれじゃ~」っと悔しがっていたが、これもいい思い出だと
僕は思っている。
リキブンとの上海での再会、そしてまたの再会を約束して別れた。
日本でであった中国人の妹と上海で再会できるという事が、僕はとても嬉しかった。
日本人や中国人、外国人問わず、人とは心から誠実に接すれば付き合いは続き、何かあったときには
必ずそうした人たちが自分を助けてくれると身にしみて実感した。
そうした付き合い方が、良い友人に恵まれている僕の人生の財産であることは間違いない。
・日本へ
リニアモーターカーと聞くと未来の乗り物というイメージがある。
山梨県で試験を繰り返していて最近実用化が正式決定されてはいるものの未だ日本では実用されてはいないが、
上海では空港と市内を結ぶ路線として既に実用化されていた。
折角、上海に来てリニアモーターカーに乗るチャンスがあるのにそれを放棄することはないだろうと思い
帰国便に乗るために上海空港に向う途中に人生初のリニアモーターカーに乗車した。
↑上手く撮れていないが、これが駅舎とリニアモーターカー
↑リニアから見える上海郊外の風景
市中心部の高層ビルとは打って変わった風景に少し驚いた。
↑車内の電光掲示板。時速431Km/hは世界最速の列車としてギネスブックに載っている。
電車はフッとした感じで走り出すというか滑り出して、徐々にスピードが上がって行った。
しばらくすると室内にある電光掲示板には世界最速431Km/hと表示された。
外を流れる風景は日本の新幹線の比較は出来ないぐらい速いスピードで流れていた。
平行して走る高速道路の車もまるで一般道をゆっくり走っているように遅く感じた。
車内の振動もあるがカーブを曲がる時になんとなく横方向に重力を感じた。
このスピード感に僕は興奮せずにはいられなかった。
リニアは出発から7分30秒で空港に到着する。
外を流れる風景を眺めながら、僕はフッと考え込んでいた。
日本に帰ることは1ヶ月のくたびれた一人旅の終わりを意味し、僕は自分の国に帰る事を
懐かしく思い心待ちにしていた。
その反面、
もしも、このリニアが空港に到着しても飛行機にあえて乗り遅れさえすれば、日本に帰れなくなる。
変な表現をしたが、実は心のどこかに、このまま上海で就職して日本に帰るのをやめてしまってはどうだろうかっと
真剣に思っている自分がいた。
事実、上海で出会った人たちの協力を得たり、日本語情報誌に書かれた求人などを駆使したり、
日本料理レストランで皿洗いでも何でもさせてもらえればこの街で生活できるのではないかと
思っていた。
僕は旅に出ると解放される。
普段、何のストレスも感じていないように思えて、実は色々なプレッシャーやストレスを感じている事を
僕の存在を全く感知しない海外に行くことで改めて思い知る。
良い友人知人に恵まれ、自分の財産だと思っている交友関係なのだが、その分、自分の行動が
いつも誰かの目に留まり、見られているというプレッシャーが常に僕にはある。
本当はもっといい加減や適当に暮らして行きたいと思っているのだが、常に自分の行動を律して
役不足を痛感してはいるものの、後輩のいいお手本とならないといけないと、勝手に思い込んでいる。
それがストレスに変っているのだと自分の事を分析している。
やや愚痴っぽくなってしまったが、そんな生活にまた戻るよりも、この上海という街で仕事をして
暮らしていけたら大学院を中退してもいいのではないかと思ってしまった。
リニアの外を流れる風景に自分を溶け込ませようとしたが、リニアは空港に到着して、フッと我に帰ると
乗客は立ち上がりだし荷物を持ち出している光景を見て、現実に引き戻された。
そして、そのまま僕は中部国際空港行きの飛行機に乗り遅れることなく出国手続きをして搭乗した。
自分で自分に言い訳をした。
あと1年半後に学位を収めた後でもきっと遅くはない。
もしこの街に縁があれば、そのときに、またこの街に来ることが出来るはずだと、
そして本当に日本での生活を捨てたいとそう思ったなら、自分自身の気ままな人生なのだからそうすればいい。
だたし、今、日本の生活を投げ出すことは、ただ単に逃げ出したいだけでわがまま以外の何物でもないことである。
そう自分を再度、律した。
そして、日本に帰国し今までの生活に戻った。
中国を旅して、辛かったり、楽しかったり、悩んだりと色々だったが、結局、僕が理解したことは、
とにかくこの国は広く、多様で、長い歴史を持っているということと、この国を理解するには時間が
あまりにも短すぎるということだけだった。
「この国が分からない」ということが今回の旅で分かったことだった。
経済成長が著しくGDPは日本を抜いて世界第2位になろうとする中国は、日本とも世界とも切っては切れない
関係になっている。
世界が注目するこの国の形を、僕はもっと理解しなければならないと感じた。
この国の旅を終えた。
日本は10月が近づき夏が終わり秋に突入していた。今年の僕の夏は中国で始まり中国で終わった。